エホバの証人を辞めたあとにどう思考していけばよいかについて思うことなど。
まだ草稿レベル。気が向いたときに修正、更新していく予定です。
2009.11.5 作成、2010.8.14 最終更新
エホバの証人を辞めたあとにどう思考していけばよいかについて思うことなど。
まだ草稿レベル。気が向いたときに修正、更新していく予定です。
2009.11.5 作成、2010.8.14 最終更新
本文章は、偉そうに書いてますが、自分がエホバの証人を辞めた後に考え方を整理していき今の自分にいたる上で、こういうヒントがあれば良かったと思うことを羅列したものです。エホバの証人を離れた当時の過去の自分、およびそれに類する人(理系で20歳前後位)を想定読者として書いていますが、一般的に役に立つとは限りません。以下を読んで不快な気持ちになったとしても私は責任はとりません。
なお、自分の中でもまだきちんと整理しきれておらず、本文章は適宜更新される可能性があります。1年後くらいに見に来ればこなれた文章になっているかもしれません。
まずはじめに挙げることといえば、使い古された言葉ですが、世の中、答えや答えに至る道はひとつとは限らないということです。小中学校の試験問題みたいに、皆で一斉に、完全な答えがひとつだけある同じ問題を解くという状況は、非常に特殊です。人生で遭遇する問題には答えがたくさんあることもあるし、答えに至るまでの解法や道についてもたくさんあることもある。また、そもそも同じことが起きたとしても、人の置かれた状況や価値観等によって問題内容や条件が変わってくるので、同じことが起きたときに、ある人が見つけた答えが他の人の答えになるとも限りません。さらに、答えなど事前に決まっておらず、選んだものが答えになる、ということもあります。
例えば、旅行に行く場合にどこを目的地に選ぶかなど各人によって異なります。さらに、大阪から東京に行くと決めた場合、目的地に至る方法には飛行機、新幹線、電車、バス、車、バイク、自転車、徒歩など多くの選択肢があり、その中で各人の予算、利用目的、好み等によって、どれかが選ばれるわけです。お金がないけど時間や体力がある人はバスや18切符を使うかもしれないし、空港の近くに住んでいれば飛行機、飛行機嫌いの人は新幹線を選ぶかもしれず、これが唯一の正解だという行き方があるわけではありません。また、車で行くとした場合に、どの道を通るかなどかなりの選択肢があります。「今日の夕飯は何を食べよう」といったものから「人生の目的は何か」「どうやって生きればいいか」なんて高尚そうな問いの答えも同じで、答えは各人によって違うし、答えに至る道はたくさんあります。
エホバの証人という敷かれたレールをひたすら進んできたり、親、周囲の顔色やエホバの証人組織の教理などの自分以外の価値基準をベースにして物事を決断してきたりすると、自分で行き先を決めたり、本当はたくさんある選択肢を見つけたり、その中から自分の価値基準に従って選択、決断する、という能力があまり育っていないかもしれません。私は結構そうでした。成人した後も、自分の意思で何かを決めるというのが不得意でした。また、何かをやらなければならない時には、他に選択肢がある可能性を考えないまま、周りの人がやってることと同じことをやれば良い、これまでと同じようにやればよい、偉い人が言ってることをやれば良い、などと思っていました。
このように、エホバの証人を辞めた後に、新たに考え方を形作っていくための第一歩は、選択肢がたくさんあるのではないかと常に考えることでしょう。これには、他の人、特に、自分とは異なる決断をしている人がどういう選択をしているのかを見るのが役に立つと思います。また、自分一人の力で考えられることや経験できることには限界があるので、本など既存の知識から学ぶことも役立つでしょう。
このように選択肢がひとつではない、となると、複数の選択肢の中からどれかを選ぶ必要が出てきます。その際に重要なのは自分で考えて選ぶということです。自分で考えて選択、決断すれば、失敗した場合に何故失敗したのかを考えるようになるし、成功した場合にそれが自信につながる、と、結果を自分にフィードバックできるようになります。多少の失敗はあっても、それを繰り返すことで、自分がどういう性質を持ってるのかがわかるようになったり、自分の価値基準ができてきたり、自信がついていくようになります。もちろん、選択肢の中から何も選ばないという選択をすることもあるでしょう。きちんと考えてその結論に至ったのならそれはそれで良いと思うのですが、単純に問題から逃げているだけだとか、問題に目をつぶっているだけなのであれば、注意が必要です。
子供の頃からエホバの証人の環境の元で育つと、何かを決断するときに、神、聖書、組織、長老、あるいは親がそう言ってるからやる、そう言ってるから信じる、と途中で思考を止めたり、他の価値観に大きく依存して決断してしまう傾向があるかもしれません。あるいは、日本人の性質として、周りがやるからやる、周りの顔色を見て決める、という思考パターンを持っているかもしれません。他人に決断や判断を任せるのは楽ですが、そうしてばかりでは、自分で考える、自分で決断する、自信を持つことができません。また、決断の結果何か問題が起きた場合に、自分の責任ではなく他者や相手の責任にするということになりかねません。また、その頼ってるもの、依存しているものがなくなった時に困ることになります。
では、自分で考えて決断していく上でどういうことに気をつけていけばいいのか、思うところを以下に列挙していきます。
何かを考える上で大事なことのひとつは、健全な猜疑心を育てること、物事を疑うことです。もちろん健全なレベルの範囲内で、です。多くの人が信じてるいること、親や偉い人など発言力が大きな人が言ってること、他の人が善意で言ってくること、が(自分にとって)正しいとは限りません。「地獄への道は善意で舗装されている」と言って、無思慮な善意が地獄のような状態を生み出す可能性もあります。もちろん、偉い人が言ってることが正しい可能性もあります。決断する前にそれらの選択肢を十分に検証する必要があります。
特に、ネット上では、多くの人が簡単に情報を発信できる反面、そこに載せられている情報は玉石混合で、必ずしも(自分にとって)正しい情報ばかりではありません。(このサイトを含めて)ネット上にあるエホバの証人に関係する情報も年々増えていますが、それらをそのまま鵜呑みにするのは危険です。他の元エホバの証人がそうだったから、そう感じているから、自分も同じである、とは限りません。例えば、家族と絶縁状態になった人が居るからといって自分の家族もそうなる、そうすればいいというわけでもなければ、現役エホバの証人を憎悪している人が居るからといって自分もそう思わなければならないわけでもありません。
選択肢の中からひとつを選ぼうとすると、自分にとってこの選択肢は良くても他の人から見れば良くない、この選択肢はこの視点では良いけどこの視点だと悪くなる、ということが起こりえます。何かを選ぶために何かを切り捨てなければならないこともあれば、どう考えてもみんなが良くなるという答えがないかもしれません。たいていのものには良い点と悪い点、メリットとデメリットがあるので、それら両方を常に考える、ということが大事です。
良い点と悪い点があるのは、選択肢を選ぶ時だけに限った話ではありません。例えば、良い思い出も悪い思い出もあるのに悪い思い出ばかり思い返していれば、良い思い出は忘れていくのに悪い思い出は何度も思い返すため記憶に残り、結果、自分には悪い思い出しかない、となりかねません。あるいは、人を見るときにも、その人の良い点と悪い点のどちらか一方だけでなく、両方見ておくべきでしょう。視点を変えてみれば、悪い点が良い点、良い点が悪い点になるかもしれません。自分を見るときも同じです。
失敗を防ごうとする、よりよいものを目指すことは大事ですが、失敗を過度に恐れるあまり決断をしなかったり、決断を先延ばしにすると、決断することによる成長の可能性をつぶしてしまうことになりかねません。もちろん失敗することによるリスクが非常に大きい問題であればそのリスクの大きさに応じた恐れを持っていてもいいと思いますが、失敗したところでほとんど大したことのない些細な問題にさえ、失敗を恐れ決断できないでいるのは愚の骨頂でしょう。
自分で決断し、自分の足で生きていく限り、多少の失敗はつきものです。例えば、歩きはじめた子供は初めのうちはこけるかもしれないですが、こけたり歩いたりを繰り返すうちにそのうち学習し、うまく歩けるようになります。ここで、こけることを過度に気にして歩行補助具を使っていてはいつまでたっても自分の足で歩けるようになりません。これと同様に、失敗を過度に恐れて決断しない、完璧を求めすぎて決断をしない、ということになればいつまでたっても自分の考え方や決断力を成長させることはできないのではないかと思います。ポジティブフィードバックだけでなくてネガティブフィードバックも成長のためには大事です。
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