自己啓発、脳内妄想、中二病ブログ。
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『時は偉大な癒し手である』 西洋の格言
『いつまでも覚えていたらとても辛いだろうと思ういろいろなことをありがたいことに私たちは忘れることができる。そして、時間というお薬があるんです』 渡辺和子
僕は結構忘れっぽい方で辛いことでも楽しいことでもすぐに忘れてしまうので、なるべく覚えておこうと文字や写真などの記録に残すなど試行錯誤しているんだけど、記録に漏れることも多々あり、他の人から僕の過去のエピソードを聞いてそんな面白いイベントがあったのかと思うことも多々あったりします。辛かったり楽しかったりと感じるのが弱いからすぐに忘れるのではなかろうかという気も。忘れるというのはそれはそれですばらしいことなんだろうけど、忘れてしまうのはなんか悲しいので、できればあまり忘れたくないところ。
時が癒してくれるというのは、単純に忘れるからというだけでなく、「過去の自分」として冷静、客観的に考えられるようになるとか、それを解決するだけの力や知識、経験が身につくから、とかそういうことも関係してくるのではないかと思う。時間といえば僕がJWをやめてからの体調について昔何か書いた記憶があったので見返してみるとこんな記事を発見。僕の場合は、JWをやめた後の思考回路を再構築していくのに、長期間大学院(というJWとは大幅に考え方の異なる環境)で教育を受け、物事の考え方や頭の使い方を学んだ(といっても周りと比べるとまだまだだし、一つの使い方に過ぎないけど)という部分が大きかったと思う。もちろん「時間」も大事だったけど、「知識」や「思考」といったものも同じくらい大事だったのではなかろうか。
いろいろな人(文章)を見ていると、例えばJWをやめて何年たっても(本質的なところでは)過去の考え方と同じような人(文章)もいる(ある)(まあ、僕も今こうやって現実逃避的に長々と駄文を書いてるんだけど)。JWとそれ以外という二極的思考をしていたり、自分が見た(時空間的に)局所的な出来事を過度に一般化してしまったり、現実が見えてない/受け入れてなかったり、結論ありきで論理を展開してしまったり、多数派の意見や声の大きな意見、都合の良い意見を疑わずにすぐに信じてしまったり・・。まあ、それが良いか悪いかはまた別の話だし、良いと思うところは残しておけば良い。ただ、これは別にJW云々に限った話でもなくて、小さい頃に教えられたことや習慣を素直に受け入れ、疑問に思う/気付くこともなく、その行動パターンに基づいて今でも行動している人はまあたぶんよくいるのではなかろうか。たぶん結構な割合で。「三つ子の魂 百まで」「鉄は熱いうちに打て」というくらいなので、人生の初期の頃の環境への適応能力は凄くて、その頃に受けた教育や環境の影響というのは凄く大きいのだろう。
とまあ話を元に戻して、確かに時の経過は有効なんだろうけど、時だけでなく「知識」「思考」といったものも大事だと思う。そもそも時の経過により「忘れる」ことだけで問題を解決してしまっては、同じようなことが起きたときにどうするの?という話になる。僕はそれほど生きているわけでもないけど、これまでの人生ではいくらでも似たようなことが起きている。歴史にもフラクタル性があるという話もどこかで聞いた気がする(いわゆる「歴史は繰り返される」というやつ)。もちろん「忘れる」ことでしか解決できないことであれば「忘れる」しかないんだけど、将来に備えるためには、他の解決方法あるいは予防方法がないか、何が問題点か、調べて「知識」を増やしたり、「思考」することも大事だろう。幸か不幸か、今の時代「知識」は玉石混合だけどインターネットなどを利用すれば比較的簡単に手に入る。ただ、「思考」部分を鍛えるのは、先の例にあるように人生初期の影響が大きそうで、なかなか難しいようにも思う(あるいはインターネット上などで多様な意見がぶつかることで思考力を作っていけてるのかもしれないけど)。少なくとも僕が受けた義務教育はそこまで思考部分を鍛えるような教育でもなかったように思う(忘れてるだけかもしれない/JWというバイアスがかかっているのでなんともいえないけど)。
僕は結構「思考」「知識」といったものや自律した人格を作ることが、ある種の人にとっては、今の時代で幸せになるための大事なひとつの要素なのではないかなと思ってたりするんだけど、それは本当なのか、当てはまるとしてどういう人に当てはまるのか、どうすれば人々の思考力を育てられるのか、そのために例えば自分は何ができるか、となるとなかなかこれといった答えが見つからない。例えば、今食べている肉がどういう過程でここに来たのか、このチョコレートの原料のカカオ豆がどういう国で作られているのか、親しい人が経てきた歴史、何かの犠牲の上で成り立っている自分、世界中にある貧困、犯罪、戦争、「知識」(や現実)がないほうが幸せと思う人もいるだろう。あるいは、ごちゃごちゃ考えるより、多少矛盾していたとしても、単純に見たり感じたりするほうが良いと思う人もいるだろう。また、自分で物事を考えるより、どこかの組織や著名人、マスコミ、親しい人などと同じ考え方をした方が幸せと思う人もいるだろうし、悪いことは悪魔、政府、他人などのせいと考えておけば良いと思う人もいるだろう。ただ、「幸せ」の道はいろいろあると思うけど、僕は僕の道を進んでいきたくある。(うまくまとまらなかった。。orz)
2008年06月14日投稿 | 2008年の名言 | Comments (0) | Trackbacks (0)
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