JW (エホバの証人)、サイト運営、技術、自己啓発、雑談など雑多な話題を密かに扱う不定期更新の雑記。
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疲労の大部分は精神的原因から来ており、純粋に肉体的原因で消耗する例はまれである、とのことでした。普段からリラックスして日常生活を過ごせばあまり疲れないとのことです。リラックスして生活するための4つの提案がなされていました。
2006年03月10日07:00投稿 | 道は開ける | Comments (5) | Trackbacks (0)
yoshさん、昨日は丁寧なお返事を頂きありがとうございました。
自分の過去については、「この世のもの」になってからの大抵の出来事は苦しかったことも悲しかった思い出も、多分自分が成長するために必要な出来事だったのだろうと何とか(無理矢理にでも)解釈して一応納得出来ていると思うのですが、生まれたときからJWの信者のように扱われていたことや、幼少時代にありとあらゆる自由を制限されて生きていたこと、神の名の下に暴力を受けていたこと、そんな日々が自分の過去の大半を占めていることに関して、何の意味があったのかどう理解すればいいのか、今も分からないままでいます。
仮にそれらが自分の人格形成に影響して今精神病になっているとして、病気になったお陰で健康の有り難みを感じることが出来るのだと前向きに考えたとしても、何だかそのために支払った代価は多過ぎたような気がします。かと言って自分を産んで育ててくれた親を憎む元気もありません。受けた酷い仕打ちを忘れたわけではありませんが、とりあえず生かしておいてもらえたことに、どちらかというと感謝してます。そしていつも私は混乱しています。
「道は開ける」のページに、関係ないことを書き込んでしまいました。すみません。
Posted by kana at 2006年03月10日 09:56
>月子さん
僕もまだまだ欠点だらけの思考パターンですが、お互い、より良い思考ができるようになれればいいですね。
>kanaさん
幼少期の辛い出来事、自分の意思だけではどうにもならなかったことを、どう良かったことと理解すればいいかは難しいところですよね。僕はJW時代の記憶はそれほどなく、JW以後の記憶の方が多いため、相対的に、JW時代の辛い記憶をどう整理しようかということで悩むことは少ないです。
ただ、記憶が全く無いわけでもなく、その記憶については、「良い」と思ったほうが楽に生きられると思うので、何とかしてJW時代の体験や育った環境は「良いことだった」と解釈することにしています(JW自体の善し悪しについては留保していますが)。どうしているかといえば、「これまでの経験」のところでも少し書いていますが、JWであったが故に得られたもの(知識、その後の友人関係、興味等)もあった、という点で自分を納得させています。また、JW云々という思考から離れ、今の時代に、この日本で、人間として生まれ育った、というだけでもそれなりに良い部分がたくさんあるので、その辺も自分を納得させるために使っています。
あまり取りとめもない文章になっていましたが、僕の場合のことについて書いておきました。うまく気持ちが整理できると良いですね。
Posted by yosh at 2006年03月10日 17:42
疲労は精神的なものから来る、というのはなんだか納得です。何事も脳内で感じるわけですから。
最近、私はもうすぐ引っ越すので落ち着かない気分です。そうそう、私、パソコン買うんですよ。ネットもつなぎます。とても楽しみです。
JW時代の記憶は今となっては苦い記憶ですが、私にとってはやはりもう過去の記憶に過ぎないんですよね。
それにやっぱりよく思い出せない。まあ、いいや、と思いつつ、今も気になるj感じです。これからは未来の生き方に焦点を当てていけたら、と思います。
Posted by クローバー at 2006年03月10日 20:35
>クローバーさん
あまり思い出せないのはなんかもったいない気がしますよね。
パソコンとネット環境が使えるようになるのなら、HPやブログを作ると面白いですよ。
Posted by yosh at 2006年03月11日 08:43
本ブログはMovable Type 3.33-jaで作成されております。
本サイトはさくらのレンタルサーバ上で運営されております。
ごめんなさい。自分の文章を振り返って読んでみると、なんかすごく偉そうに、、、。
私は自分の信じている事に確信を持っているのはいいのですが、それを反対の角度からみると私はちょっと協調性に欠けているのかも知れません。
うまくバランスを取る必要があるのでしょうが、私は物事を白か黒かでしか捉えられない欠点があります。
もう少し柔軟に協調性をもってと言うところが自分の課題のように思っています。
Yoshさんは今一生懸命に自分と向き合っているのですね。
私は聖書を知るまでの自分はいつもオドオド、ビクビクとしていました。
いつも目立たないようにしていました。
決して自己主張の出来る人間ではありませんでした。自分がなかったと思います。
でも聖書を知ってからは自分に自信がもてるようになりました。自分の考えや思っていることもきちんとしゃべれるようになりました。
だから私にとっては聖書が自分の生きる道しるべである事は今も変わりません。
Posted by 月子 at 2006年03月10日 09:53