こっそりと健全な思考パターンを獲得することを目指す、自分の自分による自分のための記録。
こっそりと健全な思考パターンを獲得することを目指す、自分の自分による自分のための記録。
葬式の日にどのように自分のことを思い出してほしいか、を考えて見ましょうとのことでした。これを想像すると、自分の一生で何が大事かが見えてくるとのことでした。
JWを辞めてからは、それまできちんと考えてこなかった「生」と「死」について長いこと考えてきました。結果、「死」を受け入れることは出来たのですが、「生」を受け入れることに少し時間がかかっています。両方を受け入れらるようになるのは何かと難しいところです。話はそれましたが、葬式の際に、どのように思い出して欲しいか。できることなら、多くの人、いろいろな人に集まってもらいたいかな。社交辞令で仕方なく来る人ではなくて、忙しい中でもかけつけてくれる人が大勢いればうれしいです。自分が死んだとしても多くの人の中の記憶に残ってもらえれば、世の中に何らかの影響を与えることができれば、自分の生に多少の意味を付け加えることができるのではないかという理由からです。今死んでも多分集まる人はあまり居ないかなと思うと、もう少しそのことを考えてこの先行動していきたいものですし、安直に「死」に憧れることのないようにしたいものです。
2006年03月01日 | March | Trackbacks (0)
約束は一度したら守るもので守れない約束はしないように、その場を取り繕うための空の約束はしないようにとのことでした。
これはなかなか耳が痛い言葉です。その場の感情で変な約束をしないように心がけてはいますが、その時にしようと思って言葉にしても実際にはできなかったり、やらなかったりすることもありますし、そうなってしまうとますます自己嫌悪のスパイラルに陥ってしまいます。「約束を守る」ためには、もちろん適当な発言をしないという態度は必要ですが、自分の力やその約束事の作業量などを的確に見積れる能力、約束を実行するだけの行動力、自分の言葉に対する責任感なども必要ですよね。なかなか奥が深いことですし、もっと精進して行きたいところです。
2006年03月02日 | March | Trackbacks (0)
自分を含めて序列をつけずにひとりひとりを本当に尊敬しているか調べてみましょう、金持ちだから、有名大学を出ているから、社長だからなどの比較で序列をつけるのを辞めましょう、偉い人は人格が出来ているから偉いのだ、ということが書かれていました。
ここで何を言わんとしているかは少しわかりにくかったのですが、肩書きなどに惑わされずに、人格を見ましょうということだと思います。社会的に上の立場であること、何らかの能力や技術があること、お金を持っていること、本人の人格、それぞれ必ずしも相関があるわけではないので、いろいろ持ってるから人格も尊敬できるだろう、あるいは、いろいろ持ってるから人格は尊敬できないに違いない、などと偏見を持ったり色眼鏡をかけて見ると本当の姿が見えなくなってしまいますよね。といっても、肩書きや経歴、職業も人を見る上での判断、推定材料の一つにはなるとは思うので、いろいろな情報を総合してうまく人を見、尊敬できるかどうかを判断できるようになりたいものです。
2006年03月03日 | March | Trackbacks (1)
何から何まで、初めから終わりまで自分ひとりで自分に与えられるものはなく、自分がどれほど与えられているかを考え、「ありがとう」を言いましょうとのことでした。
人から何かをして貰ってそれに気がついた時には「ありがとう」と言うことはできるものの、他のもの、例えば身近にある物や自然、空気などにまで「ありがとう」と自然に言うことが出来るかといえば、難しいところです。そこにまで感謝の気持ちを抱けるようになるには、かなりの精神的成長が必要なのではないかなという気がします。日々の生活で、少しずつ「ありがとう」を言う機会、範囲を広げて行きたいところです。
2006年03月04日 | March | Trackbacks (0)
人生には家と同じで設計図が必要、ただし、途中で増築するといった調整も必要ということが説かれていました。人生で、一生のうちに成し遂げたいだいたいの目標と、どうしたらそうなれるかの大まかな設計図、計画をつくりましょうとのことでした。
中期的、長期的な計画、何かとこれができずに苦労することが多いです。長い間、全く無計画、ハルマゲドンがくるんだから人生計画を立てても無駄、渡された計画書どおりに進めて行けば良い、というかなり刹那的、非生産的、受動的思考パターンをしていたので、今となっても何を目標に生きていけば良いのかはっきりとした答えを出せずにいます。果たして自分に将来を設計できる、見据える力があるのか、あるとしてもまだまだ足りないのではないか、などといろいろ思うところはありますが、Planned Happenstance Theoryという予期しないことでキャリアが作られるという話もあって、まあ、あまり細かいところまで考えなくても良いんだろうなと思ってます。将来について考えるのは良いのですが、山上の垂訓にあるように(まだ起きてもいない)将来について思い煩うのは愚の骨頂ですしね。ただ、生き方の指針として、悩みながら生きるよりは楽しく、あるいは気楽に生きられる方がうれしいと思っていて、そのためには、健全な思考パターンや楽しく生きれる術を身につけた方が良いと思っていて、その一環としてこういう自己啓発等の試行錯誤をしています。思考パターンを健全にしていく過程で、さらに設計図がはっきり見えてくればなお良いかなと思っています。
2006年03月05日 | March | Trackbacks (0)
一つしかない体なので、一定時間沈黙の時を保ち、大切に尊敬の念をもって接しましょうとのことでした。
「道は開ける」にも休息の必要性は書いてありましたが、効率を高めようと思ったら休息は必要のようですね。休息することに加え、体を大切に扱う、尊敬の念をもって接するということも、日々の生活を振り返ってみると、なかなか忘れがちになってしまうところではあります。ぞんざいに扱っていたり、痛めつけるなど乱暴に扱うこともよくあります。もっと体のことを思いながら生活をしていきたいところです。
2006年03月06日 | March | Trackbacks (0)
育った環境から受けたメッセージ(言葉や態度)は無意識のうちに自分の価値観に大きく影響しており、不必要で役に立たないマイナスのメッセージ、人生の負担になるような古いメッセージは捨ててしまいましょうとのことでした。
自己分析をしていると、両親や環境などから得た(良い、悪いを含めた)種々のメッセージが自分の中にあることに気付きます。それらのメッセージを突き詰めて行くことも、それが不要なメッセージかどうかを判断することも、不要なメッセージを捨てること自体もなかなか難しいことではありますが、できることなら、ひきつづき不要なメッセージを捨て去りつつ、新しいメッセージをどんどんと自分の中に入れて行きたいです。
2006年03月07日 | March | Trackbacks (0)
家族が機能不全な行動をしている場合に、「家族だから」といって機能不全な行動に参加しないようにとの事でした。
幸いなことに、現在、僕は家族から離れて生活しており、また、家族の行動も機能するようになってきているので、家族が行っている不健全な行動パターンに自分がひきずられるという問題はないです。家族の行動を変えることは自分のことを変える以上に大変ではないか、行動を変えずその受け取り方を変えるのもかなり大変ではないか、と思うので、今まさに機能不全な家族と共に過ごしている人は、なにかと大変だと思います。そこに宗教等が絡むとさらにややこしくなるわけで、機能不全な家族の元にいるものの思考を健全化したいと思っていて、運良く家を出れる立場にある人は、家を出たほうが良いのではないかなと思うのですが、どうなんでしょうね。
2006年03月08日 | March | Trackbacks (0)
お金、モノ、気持ち、恩、助けなど、借りたものは返すように、また、貸し借りを平均してほぼ同じにしておくのが人間関係を円滑に行うコツ、と書かれていました。借りてばかりの人、貸してばかりの人はその原因を考えてみてはどうかとのことでした。
うーん、あまり普段考えてないことです。。。モノやお金の貸し借りなどはっきりと分かる貸し借りはあまりないのですが、恩や助けとなると、気付かないうちにたくさん借りているようにも思います。というか、借りてます。。。普段借りっぱなしになっている人には返さないとな。
2006年03月09日 | March | Trackbacks (0)
想像力(イマジネーション)の重要性が書かれていました。想像力を豊かにするためには、まず、今までの自分の人生についてよく調べてそれが自分に合っているのかを考え、それから将来のことを創造してみましょうとのことでした。物事が行き詰ったり、同じことの繰り返しになった時は、どうしてそうなったのかをまず調べ、原因と結果がわかったら、想像力を使って未来を想像、そうすれば、もしかすると新たな道が見つかるかもしれないとのことでした。
個人的には、昔、集会中等で鍛えたおかげで、現実逃避のための妄想の類に発揮する能力には自負があります。おそらく独房に長い間入れられたとしても平均的な人よりは長い間耐えられるのではないかと密かに思っているのですが、こんな能力があってもあまり現実生活には役に立たないですね。。。まあ、妄想の類に力を費やしても現実では面白くないので、現実的な仮定や材料から現実に起きる結果を推定する際に想像力を使っていきたいところです。また、何か繰り返している悪習があれば、それを断ち切った未来を想像しながら、悪習を潰していけるようにしたいです。よくよく考えると害になっている習慣は一杯あります。一つずつ潰して行くか。。。
2006年03月10日 | March | Trackbacks (0)
しゃべる前に聞く練習をしましょう、相手の話を聞きましょうとのことでした。相手が話をしている時に、次に何を言おうかとかどう反論しようかということを考えて相手が何を言おうとしているかわからなくなることが無いようにとのことでした。
これはこれで大事だと思いますが、自分の場合、もっと主張する訓練が必要かなと思っています。どうも、人とあまり話さない期間が長かったせいか、今でもなかなか話を切り出せないことが多いです。1対1、あるいは静かな人4、5人で話す分には、話しやすいのですが、それ以上の人数になったり、話すのが得意な人の中にいると、会話を切り出すチャンスがつかめなくなります。主張することがないわけではないのですが、特に主張しなくてもいいかなと思ったり、聞いている内容についていろいろ考えているうちに話の流れが変わってしまいタイミングを逸してしまうことが多いです。リアルタイム性があまり重視されない文字のコミュニケーションならまだいろいろと伝えられるんですが。。。もっと会話に入っていけるようにしたいところです。
2006年03月11日 | March | Trackbacks (0)
成功の順序について書かれていました。
第1に、自分の心を成長、人格を完成させることを目指す
第2に、現在の家族が平安で機能健全、愛情に満ちることを目指す
第3に、友人関係や仕事場での成功を目指す
第4に、知人、地域、国、地球全体が平和で幸福であることを目指す
著者が長いことアメリカで生活しているためか、自分の読解力の無さのせいか、本文中で書かれていた「成功」の意味が分かり辛いところがいくつかありましたが、ここで書かれていたことは、上記の優先順位、段階で成功して行くことを目指しましょうということなのだと思います。僕はまだまだ第1段階のところでつまづいているので、まだまだここを重点的に成長させていきたいところです。第2段階は、家族と暮らしていないので当分は保留しておくとして、第3段階はそろそろもっと考えないといけないところかな。第4段階はなかなか高尚で、今の僕にはまったく目指せそうもない段階なので、ペンディングですね。まあ、今後の人生、この順序を間違えないようにしたいものです。
2006年03月12日 | March | Trackbacks (0)
他人のことばかり心配している場合、その前に自分が助けを必要としていないか考えてみるように、どん底に落ちてから助けを求める前に問題が自分ひとりで解決できないくらい大きくなっていないか調べてみるように、適当な助けを適当なところ、適切な人に求める技術を上達させるように、とのことでした。
道は開けるの26章でも、適切な人に仕事をまかせることが疲労と悩みを予防するための鍵の一つと書かれていましたが、適切な時はうまく人に頼るようにするのが良いんでしょうね。ついついひとりでやってしまおうとしてしまうことが多いので、気をつけたいところです。何でもかんでも頼ってしまうと自分に力がつかないが、逆に、全然頼らないと潰れてしまうので、頼まれた仕事はやるし、代わりに、手に負えない仕事は頼む、とうまく頼り頼られるようになりたいものです。自分に処理できることかどうか、処理できないとして頼める適当な人がいるかどうか、うまく見極める必要がありそうです。
2006年03月13日 | March | Trackbacks (0)
たいていはパニックになった場合は適当な行動がとれずに害になること、パニックになった場合はゆっくり深呼吸をし心を静め、目をつぶりゆったりした川に木の枝が流れていくのを心に描き、パニックが収まるのを待ちましょうとのことでした。
大きなパニックになることはないのですが、ちょっとパニックということはたまに起きます。落ち着いていると思考がよく周って何かと良いので、思考が必要なときは落ち着いていられるよう、上記のポイントに気をつけていきたいところです。
2006年03月14日 | March | Trackbacks (0)
物事には終わりがあること、何の役にも立たず害の方が多い人間関係やすでに死に去っているような人間関係にしがみついている場合は、思い切って切り離してみましょう、とのことでした。
今日の記事は、共依存の傾向がある人向けのメッセージだと思いますが、人間関係は何かと難しいところです。僕は結構人間関係に対してはドライで、来るものは拒まず去るものは追わずであることが多く、しがみつくほどの人はいないです。。なんかJW2の人って浅い人間関係しか築けない人が結構居るみたいですが、僕もそうなのかな。。
2006年03月15日 | March | Trackbacks (0)
どのような病気であっても、安全な環境と人間関係がなければ、そこから回復するための第一歩を踏み出すのは難しいそうです。周りの人が否定的な場合は、自分で安全なグループを作ったり、参加したりして、自分の信条を大事にして危険な環境や人の周りをうろつかないようにとのことでした。
僕の場合は幸い、環境も人間関係もひどくはないので、個人的には今日の記事はまあいいかなという感じです。ただ、今日の記事を、「自分の信条を大事にして否定的な意見を聞くな」とだけ解釈してしまうと危険かなと思いました。自分の信条が正しい、健全であるといった前提が必要かなと。自分が不健全な思考なのに、その自分を信じて周りの否定的な(健全な)意見を無視してしまうと何も解決しない可能性があるので、注意が必要かなとふと思いました。
2006年03月16日 | March | Trackbacks (0)
人は誰しもパワーを持って生まれてきており、自分は弱い人間だと思っているとそれを見つけられないこと、それをより大きく育てていくか発見しないままに終わってしまうかは自分の選択によるものであることが書かれていました。また、真のパワーは他人をコントロールしたり卑下したり押しのけたりするものではなく、他人にやさしく思いやりを持って接し、逆境に負けず自分の信念にもとづいて何かをやりぬくことであること、パワーを取り戻して肯定的に人生を生きましょうとのことでした。
去年までのあまり元気が無い時期には、自分にパワーなどあるのかなと感じていたのですが、日々の生活で「肯定」について気をつけていくことで、少しずつパワーを実感してきている今日この頃です。肯定的であるからこそ、ポジティブであるからこそ本当の意味でパワーが出るのかなと思います。ネガティブな理由でも多少のパワーは出るんでしょうけど、それだけだと続かなかったり、下手したら潰れてしまったりするので、長い期間で見ると、否定的、ネガティブに生きるのは、面白くない上に、かなり効率が悪いんでしょうね。全ての場合において否定的に考えること、逆らうことはが悪いわけではないんでしょうけど、「自分が生きていること」、「この時代、社会で生きていること」といった(現実的に)変えられないものに逆らっていると、全然パワーがでないまま一生を終えてしまうのではないかなと。かといって、それらを受け入れたことがなければ、受け入れるようになるのにかなりの努力、時間が必要かもしれませんし、そもそも受け入れないという選択をせざるを得ない不運な人もいるわけで、難しいところですが。。。ともあれ、過去も現在も未来も自分の人生は肯定して、今ほのかにあるこのパワーをもっと大きく育っていきたいです。
2006年03月17日 | March | Trackbacks (0)
何事もやりすぎたり、やり足らなかったりするのは良くなくて、バランスが必要であるとの事でした。回復も狂信的になりすぎたり、極端になるのはよくないとのことでした。
バランスの大切さはいろいろな本で説かれていますが、「中庸」もこれのことですよね。バランスをとるということは何かと難しいです。自分なりにバランスを取ってるつもりで行動していても、後から考えてみると違うかったかなと反省することもよくあります。種々のことに対するバランス感覚をうまく育てていきたいものです。
2006年03月18日 | March | Trackbacks (0)
過去に追った心の傷、そこをつかれると自信が崩れ考えたり動けなくなってしまう、あるいは、さらに傷つけられるのを恐れて相手を攻撃してしまうことがあります。自分のどこに弱みがあるのか、どのようにして弱みが発展していったのか、よく調べてみましょう、弱みから教わることはたくさんあり、それを学ぶことでむしろ強くなることがあるとのことでした。
自分で自分の弱みを全部は把握しきれていませんが、いくつかあります。どのような経緯でその弱みが出来たのか、これも何かと考えて行くと思い当たるふしはいろいろとあります。弱みといっても、実生活で問題にならない弱みならあっても別に良いと思うのですが、実生活に問題がでるようならその弱みをなんとかした方がいいですよね。今後とも、日生活に問題となる弱みには対処していきたいですし、何か問題が起きたときには何が原因だったのか分析し、自分の弱みが原因であるなら、対処していくようにしたいものです。
2006年03月19日 | March | Trackbacks (0)
春分の頃で、活発に活動する春がやってきました。心と体の均衡を図る、冬の間に考えたことを実行に移す段階である、とのことでした。
これまで心の整理のために考えていることをちょくちょくと実行してきて、徐々に気楽に生きられるようになって来ました。でも、考えるのは割と簡単にできますが、行うのは何かと難しいですね。自分の場合を振り返ると、考えていたことの半分でもできれば良いほうで、10分の1しか出来なかったり、まったくできないこともしばしばです。時間は有限なので何でも出来るわけではありません。心の整理を含めて、他にも実行したいことはたくさんあるので、うまくスケジュールを組んでやっていきたいです。
2006年03月20日 | March | Trackbacks (0)
人との葛藤や人からの非難があるときに、感情や思考の機能がとまったり、心が空っぽになることがあります。あまりにも酷い目にあって心の扉を閉じるのは自己保護のためには自然ですが、これが習慣になってしまうと何かと問題があるとの事でした。本当に閉じなければならないほど危険な状況なのか、習慣になっているだけなのかきちんと考えること、心の扉を閉じてしまい相手をコントロールすることはやめましょうとのことでした。
うーん、まさに自分のためにあるような記事です。かなり扉は開けてきたつもりなのですが、まだ多分開けきれていないです。開こうとは努力しているつもりですが、どうも開いているふりをしているだけなような気もします。まあ、これから長い時間をかけてゆっくりと開いて行くしかないのかもしれないですが。。。
2006年03月21日 | March | Trackbacks (0)
友人関係を保つにはある程度の時間と努力が必要なこと、本当の親友とはお互いをありのままに受け入れ思いやりをこめた正直さで話し合いができ、お互いを助け、励ましあえること、が書かれていました。
この前のエントリの関係もありますが、友人はまあ少しはいるものの親友がいるかと言われると返事に困るところです。もっと友人、親友を増やしたいところなので、もう少し精進してみます。
2006年03月22日 | March | Trackbacks (0)
害のある行動をしている人を見ているとなんとかしたいという気になることもありますが、あえて距離をとらないといけないこともあることが書かれていました。本人が害のある行動に気づき辞めようと努力しなければ本当の変化はないので、自分の心配を伝えた後、「助けが必要なら助けになる」と言い距離をとる、その間に自分の成長に力を注ぎ、愛を持って見守ろうとのことでした。
全てのケースで距離をとらなければならないのかというと難しいのかなという気もしますが、距離をとったほうが良いケースもあるでしょうね。でも、例えば家族が何かのカルト宗教にはまったときにどうするか、ある程度何かを言ってあとは距離をとればいいのか、ひたすらいろいろ言った方がいいのか、といわれると難しいところです。ケースバイケースになるとは思いますが、僕なら、すぐに諦めるか、外堀からじっくりと攻めていくか、どちらかかな。。。
2006年03月23日 | March | Trackbacks (0)
責任感と無責任さについて書かれていました。責任感にとらわれてしまうあまり自分も他人も縛り付けていないか、他人の責任を取ってしまいその人を無責任にしていないか、自分の責任感が適当なものか、考えてみましょうとの事でした。
責任感は大事ではありますが、強すぎたり、他人にも強要してしまったり、取らなくて良い、あるいは取ってはいけない責任までとってしまうといろいろと問題があるのかもしれませんね。かくいう自分に責任感があるかというと少し怪しいところもあって、もうちょっと責任感が必要なのではないかと思いますが。。
2006年03月24日 | March | Trackbacks (0)
親密な関係にある人を(無意識のうちに)傷つけていないか、逆に傷つけられていないか確かめてみましょうとのことでした。親密に知り合っているばかりに愛と憎しみが混合し傷つけてしまうことがあること、「ノー」と言えずに傷つけられ続けると相手の行為はますますエスカレートして自分の魂が打ち砕かれてしまうことが述べられていました。
親密になると、配慮無く行動してしまう、あるいは、されてしまうことがありますよね。多少なら良いのかもしれませんが、度が過ぎるといろいろ問題が出てくるのかなと思います。さすがに身体的な行動があると傷つけている、傷つけられているということが判断しやすいのですが、言葉や態度によるやりとりだとそれが分かり辛いので難しいところです。自分の場合、幸い、親密な人からそのような行動をされているという自覚は無いので良いのですが、逆に、親密な人に対してそういう行動をしていないかと言われると少し怪しいところです。日常の言動で無意識に親密な人を傷つけていないか、魂を打ち砕いていないか、気をつけようと再確認させられました。
2006年03月25日 | March | Trackbacks (0)
日本の文化の一つとして家族を大切にすることがありますが、家族の評判や家計、社会的地位にこだわりすぎると害が出ることが書かれていました。家の面子ばかりこだわりすぎると家族1人1人の幸せを無視するようになってしまうこと、冠婚葬祭などの儀礼やお中元、お歳暮のような習慣などについても、注意しないとしきたりに合わないものに圧力を与えることになることが述べられていました。
幸か不幸か、(日本人の特性?である)家という概念があまり僕には無いので、今日の内容はそのままでは適用できないのかなといった印象でした。先祖代々の墓とか、正月に親戚一同が集まるだとか、そういうものとは無縁に育ってきたので、自分にはあまり「家」という概念がありません。(特に田舎で育った)友達の話などを聞いているといつも自分が在日外国人のような気になってしまいます。まあ、今日の記事の「家族」というところを「JW」に置き換えれば、JWを中心にするあまりに、JWの面子にこだわりすぎるあまりに、個々人の幸福が無視されていたと言えますが。今後、家族を持つことがあれば、「家」にしろ「JW」にしろ他の何かにしろ、それらにこだわりすぎて、家族の個々人の幸福をないがしろにしてしまうことがないように気をつけたいところです。
2006年03月26日 | March | Trackbacks (0)
害のある行動をし続けてますます状態が悪くなり、せっぱつまったら無条件降伏する必要があることもある、とのことでした。アルコールやドラッグ依存症等になって自分の力でどうしようもなくなったら、自分一人ではどうにもならないことを認めたり、他の何かに問題を預けてみると、いままで考えもしなかった可能性が開けてくることもある、友人やカウンセラー、自助グループなどに助けを求めるのも、ゼロから人生をやり直すのもひとつの手である、とのことでした。
自分一人でできることなどたかが知れていますので、どうしようもなくなったら誰かに助けを求めるのも一つの手ですよね。何度も人生をリセットしたいと思いつつも、幸い、僕はゼロから人生をやり直さなくてもこのまま回復できそうに思えてくるようになったのですが、自分ひとりでやらずに、他の力を借りてゼロからやり直した方が長期的に見てよいという人もいるかもしれませんね。ただ、ゼロから人生をやり直さざるを得ないとなると大変そうです。
2006年03月27日 | March | Trackbacks (0)
白か黒か、正しいか間違っているかということを極端に決めるのではなく、白と黒の間に灰色という答えもあることを思い起こしましょうとのことでした。
世の中、そんなに単純ではないので完全に白と黒に分けられるわけはないですよね。世の中には物事を白黒に分けてしまう思想もありますが、本当は、世の中、白黒以外にも灰色はもちろんのこと、青、黄、赤、緑、紫、など世の中にはいろいろな色があるはずです。答えは一つではない、世の中は多様である、なるべく視野を広げるように生きていきたいです。
2006年03月28日 | March | Trackbacks (0)
長い間かかってできた機能不全な行動パターンを変えるには長い時間がかかりますが、忍耐強く時間をかけて待っていると、問題が解決することもあるとのことでした。忍耐とは、酷い目に遭っても我慢するということではなく、待っている間に考え、自分の感情に気づき、適切な行動をし、じっくり考察する過程のことです。
僕自身、以前、なかなか思考パターンが変えられなくて、もうだめだ、楽しく生きるには(覚せい剤などの)薬しかないのではないか?などと思ったこともありましたが、時間が経つうちになんとなくめどが立ってくるようになってきました。長い時間をかけて身につけた思考、行動パターンを変えるのは一朝一夕ではできませんが、日々ゆっくりと努力していくことで少しずつ変わるものですね。まだ理想の自分に近づけているわけではないですが、ゆっくりゆっくりと忍耐強く変化していきたいです。
2006年03月29日 | March | Trackbacks (0)
いつもやっていることを、見直してみましょうとのことでした。顔をふくときのタオルの感覚やお風呂に足を入れたときの感じなど一瞬一瞬を楽しんだり、普段やり慣れていることを新しい目で物事を見て、再発見をしましょうと書かれていました。
普段やり慣れていることは、同じ行動パターンで接してしまいがちですよね。同じ物事を行うにも様々な方法があるでしょうし、時には視点を変えたり、やり方を変えてみると思わぬ発見があるかもしれませんね。普段の何気ない行動から新しい発見ができれば、何気ない毎日を楽しくできそうです。こういうことが自然にできるようになりたいところです。
2006年03月30日 | March | Comments (2) | Trackbacks (0)
誰かのせいでこうなった、など物事を他人のせいにして自分は被害者であるという態度をしていないか?こういう言葉遣いをしていると無意識に自分が被害者であることを肯定してしまいがちであること、自分の力を肯定するような方向で考え、被害者意識を売り物にしないようにとの事でした。
確かに同感です。被害を受けることは往々にしてありますが、被害を受けたときに、他の人や物のせいにしてそこで終わってしまうと、あまり成長が無いのではないかなという気がします。他人や過去は変えられないが、自分や未来は変えられる、ということを考えると、被害を受けたときのダメージを弱めるためには、変えられるもの=自分を主語にして話す方が、受けた被害から何かを学ぶ点でも、将来に活かす点でも、それをプラスに変えるためにも、良いのかなあと漠然とですが思います。かといって、被害を受けたときに全て自分に非があったと考えるのはやりすぎで、受けた被害に対して、加害者と自分、それぞれどれくらいの割合で責任があるのかきちんと把握しておくことが大切かなと思います。例えば、幼少期に性格が形作られてしまった点に関しては養育者に責任があるのかもしれませんが、大人になってそれを(そのまま)維持しているのは自分の責任によるところが大きいと思います。被害者意識を強く感じることで、せっかく良い方に変えられるかもしれないものを変えられないもののようにみなすことがないようにしたいものです。
悲観的にならず前向きに生きるためには、日々、新しい健全なメッセージを自分に送り続け、ポジティブな自分に生まれ変わる必要があります。このブログは、西尾和美著の「心の傷を癒すカウンセリング366日―今日一日のアファメーション」に書かれている内容を読み、まとめ、実践し、そして管理人が健全な思考パターンを身につけることを目論んで書かれた2006年の1年間の記録です。記事一覧はこちらから見れます。
「自分のために生きていける」ということ―寂しくて、退屈な人たちへ 斎藤 学 (著)。私は何がしたいのか?「ホンネ」はどこにあるのか?いきいきとした感情生活をとりもどし、よりよい人間関係をきずくための一冊。
子どもを生きればおとなになれる―「インナーアダルト」の育て方 クラウディア ブラック (著)、水沢 都加佐 (翻訳)、武田 裕子 (翻訳)。おとな=自分を幸せにできる人。人生を変える4つのステップ、5つの力。子ども時代の痛みを越えて、本当のおとなになるために!AC(アダルト・チャイルド)概念の生みの親、クラウディア・ブラックが経験のすべてを注ぎ込んだ一冊。
ダメな自分を救う本―人生を劇的に変えるアファメーション・テクニック 石井 裕之 (著)。人生を思い通りに進めている人は、「意識と潜在意識の連携がスムーズにいっている」のです。深いところで自分を強力に動かしている潜在意識を味方にするための、最強の「アファメーション(自己暗示)」を紹介。
人生を変えた贈り物 あなたを「決断の人」にする11のレッスン アンソニー・ロビンズ (著)、河本 隆行 (翻訳)。上質な人生、真の成功、たしかな幸福。世界のVIPが感動した魂のコーチングとは。自己啓発メンターの世界的スーパースターが自らの体験によって発見した「人生を変えるパワー」を凝縮した、人生指南書。
道は開ける 新装版 デール カーネギー (著)、香山 晶。「悩みに関する基本事項」「悩みを分析する基礎技術」「批判を気にしない方法」など、悩みの正体を明らかにし、悩みを解決する原則を具体的に明示。こころの闇に光を与える書の新装版。
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